人の評価を気にしない
私はそのときどきに感じたことを絵本にしてきました。それは、自分の考えに気づき、深め、それを自分と他者に問いかける作業でした。
学校を卒業後、何をしたいのか模索する中で、立派な成功者のイメージは、何かの賞を受賞して有名になって、大きな仕事をたくさん受け、多くの収入を得て世界を股にかけて仕事をする人でした。母について私は、子ども三人の世話をしながら、父の仕事を手伝う、自分のしたいことを諦めた人のように、漠然と考えていました。
けれど、知り合いから頼まれて、学童保育所で働きはじめてから、考えが変わりました。笑ったり、怒ったり、悲しんだり、私の表情は豊かになりました。毎日たくさんの出来事が起こり、いろいろな感覚が刺激されます。
子どもたちの成長は目に見えないけれど、毎日少しずつ、心も体も着実に成長していく。そして、それを見守る周りの大人たち。道を掃除する人、花に水をあげる人、挨拶してくれる人、修繕してくれる人、おやつを作ったり、ボタンを縫ったり、看護したり、そういった小さな思いやりが集まって、暮らしは成り立っている。
お金や名誉や見返り、人の評価を気にせず、自分が良いと思うことを丁寧に続けていく人こそ素晴らしいのではないかと、感じるようになりました。そして、それはまさに母の生き方でした。
その気づきを絵本にしたのが『ベルダのしごと』です。主人公は、周りにとらわれず、自分がすべきことを淡々と時間をかけてやり遂げます。
自分で1冊だけ作り、作品展のたびに展示していたのですが、欲しいというお客様が多かったので、お金をかけて出版(『ベルダの仕事』2018年 遊行社)することにしました。自分で絵本を作ってから26年も経っていました。
羊を巡る出会い
絵本の出版を知って、北海道のギャラリーが個展開催の声をかけてくださいました。10年前、北海道で作品展を開いた時に、お客様として訪れ、この絵本を読んで覚えていてくださったのです。いろいろな方の協力で個展は3カ所で行われることになりました。私はこの絵本を紙芝居に仕立てていたので、個展会場で紙芝居もすることにしました。
この絵本には羊が登場しますが、実のところ、私は羊をよく見たことも、触ったこともありませんでした。
北海道に着いた初日、2カ所目の展示を企画している方の家に挨拶に伺ったら、飼っている3頭の羊を見せてくれました。色も種類も様々でした。彼女とは初対面でしたが、この絵本を気に入ってくれていて展示を企画してくれたのでした。後日、彼女から羊の毛を糸車で紡ぐ方法も教えていただきました。冬、雪が深く、外で畑仕事ができない時間、友人たちが糸車を持ち寄って、彼女の家で糸を紡ぐのだそうです。彼女たちが編んだ作品は、白、黒、灰色、ベージュ、茶色など羊の毛色がそのまま生かされていて、羊の毛ってこんなにいろんな色があるんだと感動しました。同じ色でも若い羊と年老いた羊では微妙に違うのだそうです。
3カ所めで展示をしている時に、ギャラリーのオーナーから「この絵本が好きで、あなたを食事に招きたいという方がいるので、連絡を取ってみて」と言われて伺ったおうちでは、広大な牧場にたくさんの羊が放牧されていました。「ぼのさん」と呼ばれるその方は、アメリカ人のパートナーと北海道に移住して来て、小麦や米や野菜を作って暮らしていました。
食事を楽しんだ後、ぼのさんは私に、「どうして羊を飼っていると思いますか?」と聞きました。
「毛のためですか?」と、私は答えました。
「いいえ」
「肉のため?」
「いいえ」
私が考え込んでいると、
「土を耕すためなんです」と、ぼのさんは言いました。
「羊が土を耕すんですか?」。私はよく理解できませんでした。
「羊が牧草の葉先を食べると、草が再生しようとして、たくさんの糖を根に送るんです。すると微生物が活性化し、土壌炭素が増えて、耕さなくても、そこに種を植えれば植物が育つ良い土になるんです」
羊はただ草を食べるだけで人間の役に立っている! それは私を驚かせました。ぼのさんたちは、農薬を使わない、自然を循環させる農業を研究し、広めているのでした。羊たちの食べる牧草も、もちろん無農薬です。毛や肉は、副産物として感謝して利用しているということでした。
通常、毛糸を取るために飼っている羊は、季節に応じて自然と毛が抜け落ちないように品種改良されていると聞いたことがあります。結果、人間が毛を刈らないと、どんどん毛玉のように大きくなって、羊は身動きが取れなくなるそうです。さらに、羊の体の表面積を増やして、毛をより多く収穫できるようにもしたことで、皮膚の間に細菌がたまって病気になったり、不衛生になることから、その部分を切除したり、病気にならないように薬を飲ませなければいけないと聞きました。
北海道に着いてすぐ、エサにこだわり、薬に頼らず、広い鶏舎で育てている鶏卵農家さんを訪ねました。一般的に家畜として育てられた鶏は、卵をより多く得るために品種改良されていて、体に無理な負担がかかり病気になりやすいため、抗生剤などの薬を与えないといけないのだそうです。傷つけ合わないようクチバシは切られ、効率のために狭い空間に閉じ込め、産卵が減るので2年経つと食肉にするそうです。その農家さんでは、鶏が自然に近い形でストレスを受けないように飼育し、せめてその2年間、鶏が幸せに過ごせるよう配慮していました。私は一般的な家畜の現実を知り、家畜の尊厳について考えを巡らせていました。
ぼのさんの所にいる羊たちは、一日中美味しい草を食べて、おおよそ寿命に達するまで生きるのです。幸福な家畜に出会えて嬉しくなりました。
私が感心していると、ぼのさんが私に言いました。
「自分のしていることに自信がなくなった時もあるけれど、この絵本を読んで、今のまま続けていいんだよって言ってもらえたような気がして、すごく嬉しかったんです。だから、私の周りのたくさんのベルダたちにこの絵本を贈りたいんです」
私は、ベルダのようになりたくてこの絵本を作ったのに、もうすでにベルダのように生きている人にこのように言われたことにとても驚きました。羊のことや自然の循環について何も知らずに絵本を作った私は、絵本によって、それを知ることができたのです。
羊飼いを目指す女の子
私の個展会場で、紙芝居上演の後に話しかけてくれた女の子がいました。にこにこしながら「私、これから羊飼いになるんです」と。
彼女は新型コロナウイルス感染症の流行で大学が休校になったのを機に、農業研修を兼ねて、日本中を旅している女子大生で、その時は個展会場の近くの無農薬の花農家さんで働いていました。
「以前、旭川で羊を飼っている方にお世話になったのだけど、そこがすごく良かったので、これから師匠のところに戻るんです」
新型コロナウイルス感染症の流行を前向きにチャンスとして捉え、新しいことにチャレンジしている彼女の笑顔は輝いていました。
私が北海道の個展を終えて家に戻ってから、彼女からメールが来ました。「旭川に戻ったら、師匠から、もしこれから羊の世話をしてくれるなら、羊も土地も家も君の好きに使っていいよって言われたんです。それで、羊を飼って無農薬の野菜をみんなで育てて暮らせるシェアハウスをすることにしたんです。その家の名前を『ベルダのおうち』って名付けてもいいですか?」
私はもちろん快諾しました。彼女はその後、どんなシェアハウスにするかアイデアを練るため、日本の個性的なシェアハウスを巡る旅に出ました。その途中に私の家にも寄ってくれました。彼女の年齢は23才、ちょうど私がこの絵本を作った年齢。すでに彼女はベルダのように生きています。
23才の私からの贈り物のような出会い。迷いながら生きている当時の私に教えてあげたい。あなたが今作っている絵本は後で素敵な出会いをくれるよって。
作品が、私にさまざまな出会いを導いてくれる。今、生み出すものが未来の自分への贈り物になる。それは今、今日を丁寧に生きる先にあるような気がします。
- この記事を書いた人
- 【古知屋 恵子】版画家・絵本作家
茅ヶ崎在住。多摩美術大学油画科卒業後、おもに木版画作品を制作。白黒の一色刷り、多色刷りの木版画のほかに、手作りの紙芝居・カルタなど幅広く作り続けている。毎年、秋から冬にかけて茅ヶ崎や都内で個展を開催。著書に『ぎゅうぎゅうぎゅうゴトゴト』(新風舎1996年)、『ベルダのしごと』(遊行社 2018年)がある。
*作品は古知屋恵子の Instagramでもご覧いただけます。
https://www.instagram.com/kochiyakeiko/?hl=ja