丸山園本店での経験が貴重な財産

 2022年1月11日火曜日、AIRDO(エアドゥ)東京発旭川行きのチケットを手に、東海道線の藤沢駅に向かった。夏に旭川の地で、本格日本茶カフェをオープンすることになった私は、開店準備に向けて、いよいよ地元である藤沢から出発するのだ。
 希望に満ちた旅立ちであるにもかかわらず、藤沢駅のホームから電車が動きだした時、急に離れる寂しさがこみあげてきた。

 なぜ旭川で、なぜ日本茶カフェなのか。それは2018年1月、約12年間お世話になった株式会社丸山園本店を退職した頃に遡る。

 丸山園本店は、深蒸し茶をメインに販売する東京の老舗の日本茶販売店で、2003年から急須で飲む茶葉の美味しさを伝えようと、本格日本茶カフェを運営している。私はこの日本茶カフェ「一葉(かずは)」で10年ほど現場に立ち、企画やメニュー開発、運営に携わっていた。
 初期の「一葉(かずは)」は新宿御苑前にある自社ビルの1階に1号店があり、現社長がまだ正式に就任する前だったので、私たちとも近しく、お茶への情熱をたっぷり聞く機会があった。まわりにも日本茶インストラクターの方や、”お茶熱”の高い先輩がたくさんいたため、紅茶、中国茶を学んできた私だったが、日本茶の魅力の虜となった。最初はパートとして2年ほど働き、その後は社員として長く勤めることになる。
 1号店は現在、閉店してしまったが、日本茶を学ぶ最初の一歩として、私にとって大事な時間となった。社員となったあとは、茅ケ崎店、八王子店、鶴見店などの勤務を経験し、ありがたいことにメニュー開発など店舗運営をまかせていただいた。この頃の経験が、これから日本茶カフェを経営する私の貴重な財産になった。

一般道で7000㎞、お茶農家をめぐる旅へ

 丸山園本店を辞めた後、私は日本茶の現状を知る旅に出た。そう書くと、なんだか格好良く聞こえるのだが、実のところ、退社した途端に燃え尽き症候群のような状態。この時間に起きなければいけないという制約のない生活に解放感を感じながらも、目指すものがぽっかりとなくなってしまったような気分になった。定年退職後に「何をしたらいいのかわからない」という状態は、もしかしたら、こんな感じなのかもしれない。
 
 私は以前から知覧のお茶畑をみにいきたいと思っていて、退職したら九州に行こうと考えていたのに、計画の実行に腰が重くなっていた。そんな日々が過ぎ、新茶の時期が終わりかけの5月、
 「九州の旅に行こう!」
とパートナーが、背中を押してくれた。これが、1か月に及ぶお茶の旅の始まりだった。

 地図を見るのが得意なパートナーはナビ役、私は運転手、この分担で九州へ向かう。高速は使わず下道で。目的地まで高速で行けば早いけど、神奈川から九州までの距離感を感じたい、旅の途中でさまざまな出会いをしたいなどを考えると、時間をかけて九州までたどり着きたい。私の思いを組んで、パートナーは協力して計画をたててくれた。車中泊をしながら明るくなったら出発し、今日の目的地まで走る、そんなお茶の旅だった。

 九州へ渡り、お茶畑へと車を進めた。今まで自分なりにお茶の勉強は色々していたけれど、農家さんに直接話を伺う機会はあまりなかった。それゆえ、出会った農家の方のお話はとても面白く、より具体的にお茶のことがわかってきた。
 佐賀、長崎、福岡、鹿児島、京都、愛知、長野、岐阜、静岡、石川を回り約7000㎞ 走ることとなった。全部を見ることはできてはいないが、それでもこんなに沢山の所でお茶が作られていることに驚いた。

福岡県八女市、丘陵地に広がるお茶畑。
八女茶発祥の地とされる霊厳寺(八女市黒木町)から望む奥八女の風景。室町時代、学僧・営林周瑞禅師が明から帰国し、霊厳寺を建立。持ち帰ったお茶の種を栽培し、その栽培と製茶方法を広めたとされる。

 「お茶は売れなくなった」と、斜陽化するお茶業界のなかで、美味しいお茶を飲んでもらいたい、お茶の価値を伝えていきたいと一生懸命に頑張っているお茶農家さんの姿にはとても感動した。

 通年栽培のお茶の木は、来年の美味しいお茶の葉を育てるために剪定したり、追肥をしたり、1年通して手間暇かけて栽培する。「お茶の木を育てるって意外と1年中やること沢山あって大変なのだよ」と笑っている農家さんもいた。
 福岡県八女市の「いりえ茶園」さんとの出会いは、衝撃だった。いりえさんは、食べられる土でお茶を育てる有機栽培の農家さん。「お茶の作り方は教えられないけど、土作りなら教えてあげられるよ」と、土作りにこだわり続け、独学で有機栽培のお茶づくりをしてきた。作ったお茶の販路がなかったいりえさんは、沢山の所へ足を運び、自分でお茶の宣伝をコツコツと続けたのだ。その甲斐あって、今では独自ブランドを確立し、沢山のお客様と交流している。
 「お茶の有機栽培は難しい。できても美味しくない」
 会社員時代、そう教えられてきた私だったが、いりえさんのお茶はとても美味しくグレードも高い。この出会いで、有機栽培のお茶への考え方が、がらりと変わった。いりえさんの生き方にも感動し、出会いに感謝した。
 そんなふうに農家さんと対話しているうちに「旅で出会ったお茶農家さんが作ったお茶を、沢山の人に味わってもらいたい」と思うようになっていた。
パートナーが言うには、旅の途中から、私にだんだんと気力が戻ってきているのがわかったと。目力もどんどん強くなっていったそうだ。

鹿児島県知覧茶を訪ねて。特攻平和会館の駐車場内にある巨大モニュメントの前で。

 訪ねたお茶農家さんの情熱に感動した私は、感動の勢いのまま旅から戻り、夏頃からはワークショップなどを始めた。それから半年経った頃に「LIAISON MISA」を立ち上げ、旅で出会った感動のお茶と、家庭で楽しむ美味しいお茶の淹れ方を伝えることに本腰を入れる。ちょうど鎌倉で、「かまくらマルシェ」という催しがあることを知り、そこに参加したことをきっかけに、2018年11月11日、お茶の販売も始めた。

ワークショップでは、日本茶の歴史から、産地別のお茶の飲み比べなど、様々な角度からお茶の魅力を紹介。

 お茶の魅力を伝えようと地元・藤沢を中心に地道な活動を2年ほど続けたのだが、ワークショップの集客の難しさや、お茶の面白さを伝えることはできても、肝心のお茶がなかなか売れない状況が悩ましかった。良質なお茶を持っていてもリピートにつながらないという、厚い壁にぶつかった。

 どうしたものだろうか。
 何かやり方を変えないといけない。
 色々、考えるなかで、お茶の面白さを伝えながら販売につなげる方法は、自分が淹れたお茶を飲んでもらえる場所(=実店舗)をつくるのが一番である、という考えに行き着いた。行き着いたというより、最初に考えたことに戻ったと言う方が正しいだろう。
 この時は、もちろん今自分が住んでいる、生まれ育った藤沢近郊(湘南)にお店を構えたいと考えていた。

北海道「旭川ここはれて」に応募

 「旭川が最近、随分変わったよ。今度一緒に見に行こう」。
 ある日、パートナーからこんな提案があった。旭川はパートナーの故郷。前回、私が訪ねたときは、街に勢いはなく、他の地方都市の例にもれず、商店街はシャッター街になっていた。
 ところが今回、久しぶりに訪ねてみると、個人で経営する素敵なカフェが増えていて、新しい風のようなものが吹きつつあるのを感じたのだ。

 日本茶カフェをこの地に開くことを想像し始めていた。北海道は急須で淹れる日本茶を楽しむ文化は古くからあるのだが、日本茶専門のカフェ文化は札幌まで。まだ旭川にはきていない。そういう意味では、湘南ではなく、旭川の方が伸び代もあって面白いかもしれないと思った。と同時に、急がないと出遅れる、という焦りも生まれた。
 湘南は気候もよく、人も集まり、文化への意識も高い。だからこそ、もうすでに日本茶カフェは珍しくない。
「旭川で店舗を持つのはありかもしれない」
パートナーに話すと、
「そうでしょ!」
彼も間髪入れずに同意した。

 旭川に住む方にお茶に対する思い、どのような関心があるのか直接聞きたい、調査したいと思ったのだが、時はコロナ禍。ワークショップなどの活動は簡単にはできなくなっていた。それでも、緊急事態宣言が緩和された時を狙って、数カ所で「日本茶、味比べワークショップ」を開催することができた。
 「面白い」
 「お茶にこんなに種類があるとは知らなかった」
 多くの参加者が、こちらが驚くほど良い反応してくださった。「これからもワークショップを定期的に開催してほしい」とリクエストもいただいた。
 旭川にお茶を飲む習慣が根付いていることを、体感することができた。

 コロナ禍で既存の飲食店も存続が厳しい時に、新しく日本茶専門カフェを開くというのは、とてもハードルが高く、至難の業であると悶々とする日々が続いていた。だからこそ、湘南にこだわることなく、チャンスが広がる所でスタートしたいと考えていた。

 「旭川を盛り上げようと、杉村太蔵(元衆議院議員・実業家・タレント/旭川出身)さんがプロジェクト“CocoHarete(ここはれて)”を立ち上げて、出店者を募集しているよ」
 パートナーが情報をキャッチし、私に教えてくれたのは、2021年6月のことだった。

 募集要項をみると、ただ出店者を募集しているのではなく、何かに挑戦をしたいと思っている人たちを支援する、「道北・旭川から起業家を育て、旭川を盛り上げよう」という趣旨だった。
 プロジェクト「旭川ここはれて」は、食と文化の発信拠点「旭川ここはれて」を5条通8丁目の平和通買物公園に展開するもので、7〜8坪の小規模な店舗23軒ほどが並ぶ商業施設である。出店に際し、リスクを気にせず挑戦できるよう、初期費用を抑えたプランも用意されている。

 旭川出身でない自分には参加資格はないかもしれないと思ったが、ちょうど仕事で旭川にいた旭川出身のパートナーが説明会に参加し、詳細を聞いてきてくれた。パートナーは、太蔵さんの熱い志を肌で感じ、私に参加をそれとなく促してくれた。

 「杉村太蔵さんは本気だよ」
 パートナーは私に言った。

 旭川への可能性を感じていた私も、できることなら参加したいと思った。神奈川在住の私が応募できるのか心配は残ったが、聞いてみることにした。すると、幸いにもエントリー可能だったのだ。
 「これはチャンスかもしれない」。そう思った。

 リモートの面接から始まり、5回の審査を経て、84軒ほどの応募の中から23軒が選出された。その中の1軒として、私は晴れて旭川でチャレンジできることが決まったのだ。
 内定をいただいた後、プロジェクト責任者である太蔵さんは、こんな話をしてくれた。
 「1回目の審査で、審査員となる方々にお願いしたのは、経験や年齢とかではなく、この人が店長さんだったら一緒に働きたいと思うかを基準に判断してほしい」
 太蔵さんの話は、とても嬉しかった。
 15分ほどの面接であっという間に終わってしまったのを覚えている。旭川にご縁があることを、私は必死に伝えたように思う。

 3回目の審査は、メニュー試作だった。
 「時間内に看板になるメニューを作って、アピールしてください」という内容で、一緒にお店を手伝ってくれる予定の義母と審査に向かった。
 審査時間は賞味1時間40分ほど。5組合同の審査で、各々料理が出来たら審査員の所まで持っていき、アピールする。それだけでなく、「料理を作っている間、一般の女性審査員10名ほどが質問に回るので答えてください。その接客対応も審査対象です」とのことだった。
 1~2品用意と言われていたが、私は4品+お茶で計5品を作る準備をした。「お茶を飲んでもらいたい」「お茶を使った料理、スウィーツを食べてもらいたい」と思い、欲張りだとは思いながらも、知ってもらいたい気持ちが強く、5品となった
 料理は「お茶の葉たっぷりのお茶漬け」と「お茶の佃煮をいれた俵結び」。スウィーツは「お茶の佃煮タルト」「お茶のパウンドケーキ」。お茶には「お茶クッキー」もつけた。

審査のメニューの一品「お茶のパウンドケーキ」、食べるお茶の葉がアクセントに。

 いざ始まると思いのほか、お茶への質問攻めになった。答えていると手が止まり、作業が出来ない。「私が指示するから大丈夫」という計画で臨んでいた義母は、指示がないため、自身でレシピを見ながらなんとか作っている感じ。
 あたふたしている私たちを見かねた太蔵さんが、「料理できたらすぐに持っていった方がいいよ、食べてもらえないと審査してもらえないから! とにかく持っていって!」。そう声をかけるや否や、まだトッピングが終わってないスウィーツを、「はい、リエゾンさん」と、審査員の前に持っていってしまった。
 「あー!」と思いながら、私は審査員にアピール、そしてビデオ撮影。そうしているうちにまた中途の料理が、杉村太蔵さんより審査員の前に運ばれる。
 これを言おうと思っていたこともすっ飛んだという具合に、ドタバタと終了……。と思ったら、肝心のお茶を飲んでもらえていないことに気がつく。
 「お茶のんでください!」
 審査時間の終了間際、慌てて審査員のところに持っていき、目の前で淹れて飲んでもらう。
 「○○くん、このお茶、美味しいよ」
 審査員のお一人、旭川ラーメンで有名な梅光軒社長の井上さんが、どなたかに(ドタバタでお名前は覚えてない)お茶を勧めてくれた。これはとても嬉しかった。

 汗かく思いで、なんとか終了し片づけていると、
 「お母さんとやるの? 家族で出来るのはいいよね、頑張ってください」
 「久しぶりに美味しいお茶をのんだよ、ありがとう」
 梅光軒社長の井上さんが、笑顔で声をかけてくれた。本当に嬉しかった。

 その後、無事3回目の審査の合格をいただいた。おそらく義母の明るい人柄と、ドタバタと親子で挑む姿が、印象に強く残ったのではないかと思う。
 3回目の審査が一番大変だったけれど、あたふた感が面白かった。今、振り返ってみると、この3回目の審査での様子が、最終的に選んでいただいた大きな理由につながっているのではと思ったりしている。

人生で大切な街、旭川そして湘南

 コロナ禍になって、既存の店も存続が厳しい時代。その中で新しく出店するのは、さらにハードルが高い。だからこそ、チャンスがあればどこでも出店したいと考え始めていたのだが、じつは旭川でお店を始めることこそ、私にとって、とても意義のあることだった。
 それは25年ほど前のこと。大学を卒業して写真家を目指していた駆け出しの頃、北海道の東川町を中心に、旭川市、美瑛町の3箇所で開催される写真展に作家として参加させてもらったことがあった。
 この写真展で、旭川在住のアマチュア写真家のご夫婦との出会いがあったのだが、お二人の写真への情熱にただただ圧倒された。そして、会場の白い壁に飾るためだけに、作品を作っている自分に気づいてしまったのだ。「写真が面白い」という純粋な気持ちをいつの間にか忘れてしまっていた。作品だけ作っていればいい、というような自己中心的な考えになる自分なら「自分がやるべき事は写真ではないかもしれない」と思い、このことをきっかけに、きっぱり写真家の道をあきらめた。
 その後、好きという純粋な気持ちが変わらず、人に喜んでもらえることをしたいと思い、それが私にとって「食」であった。そして食の道へ進み、今に至っている。当時、写真家の道を諦めるというマイナスの決断をしたように見えることでも、その後に歩んでいる道を思うと、この時に、このご夫婦に出会えて決断することができてよかったと思っている。
 そう、旭川はお茶に捧げる人生の原点、今進んでいる道の起点なのだ。

 「旭川ここはれて」は、事業が軌道に乗り、旭川の別の場所に出店できる体力がついたら、「旭川ここはれて」を卒業するシステムになっている。次の挑戦者に場所を譲るという考えだ。
 経営が安定し、体力のついたお店は、旭川の別の場所にお店を出す。「旭川ここはれて」には、次の挑戦者がお店を開き、成長する。旭川の街に様々な活気あるお店が生まれ、人が集い賑わうように考えられたシステムだ。
 私は「旭川ここはれて」卒業後に、旭川市内と湘南と2箇所にお店を持ちたいと思っている。旭川は最終地点ではなく、旭川のお店を大切にしながら、湘南にもお店を構えて、2つの拠点で日本茶の魅力を伝えていきたいと考えている。

この記事を書いた人
【リエゾン ミサ】日本茶専門カフェ店主・日本茶アルティスト

神奈川県藤沢市鵠沼海岸生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、写真家として活動するが、幼い頃から食べることが好きだったため、食の道に転向する。天然酵母パンを伊藤幹雄氏に、紅茶を磯淵猛氏に学ぶ。中国茶「アランチャンティールーム茶語(チャユー)」新宿高島屋店の勤務を経て、株式会社丸山園本店に入社。直営の日本茶専門カフェ「一葉(かずは)」で約10年間運営に携わったのち独立。「LIAISON MISA(リエゾンミサ)」を立ち上げ、お茶の販売と日本茶の魅力を伝える活動を開始。その一環として、2022年7月、北海道・旭川の商業施設「Asahikawa Harete(旭川はれて)」に日本茶CAFE/和風居酒屋 WHIZ by LIAISON MISA開店を予定している。

Asahikawa Harete(「旭川ここはれて」から名称変更)HP : https://www.asahikawaharete.com
日本茶CAFE/和風居酒屋 WHIZ Instagram:https://www.instagram.com/whiz4188/

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